心理教育のコツ~抵抗を扱う~
Adherence Therapyのマニュアルを読み進めています。
Cornerstones of the adherence approach
- Exchanging information
- Dealing with resistance
Dealing with resistanceをみてみます。
まずは直訳。
抵抗は、薬についての緊張や意見の相違があるときに生じるもので、どんな健康行動を検討する時にも、まったく正常な反応である。ミーティング中に抵抗が生じた場合、薬を飲むことについて協力的な会話をすることは不可能で、服薬に関する共同作業はできません。 抵抗を最小限に抑えるためのアプローチを選択し、抵抗に対処するのが治療者の役割です。
抵抗の最も一般的な形態は
- 議論、挑戦、敵意
- 防衛、言い訳
- 話しの割り込み
- 無視、不注意
治療者が抵抗を強めたり弱めたりできることを意識するだけで、薬に関する会話がスムーズになります。 抵抗の兆候を警戒することに加え、抵抗に対処するための3つの有用な戦略があります。
- 個人の選択とコントロールを強調する
- 後退して患者さんに寄り添う
- 患者さんにとって服薬がどれだけ重要か、どれだけ自信があるかを再確認する
ここまでが直訳で、わかりやすい部分だけ抜粋しています。
「抵抗」って精神分析とかをやっている心理士さんとかがよく使う言葉ですよね。治療者側から見た目標、ここで言うと「薬をきちんと飲むようになる」という目標に対してそこに向かわない患者さんの発言や態度といったものをざっくり「抵抗」と呼んでいるわけです。
動機づけ面接でもかつてはこの「抵抗」という言葉を使っていましたが、最新の動機づけ面接では「不協和」と「維持トーク」という二つの概念に分解されています。
「維持トーク」というのは、両価性の片方に向かう言葉です。たとえば、アルコール依存症の人は「酒をやめたい」でも「やめられない」のが普通なわけで、この時の「やめられない」という発言のことを維持トークと呼びます。チェンジトークの反対です。
対して「不協和」というのは、患者さんが「あなたと話すのが嫌」と感じている時に生じる発言や態度のことです。まともに敵意を表現する方もいるでしょうが、治療者に責められていると感じて防衛的になり正直な気持ちを話してくれない状態も含まれます。
不協和が起こる原因というのは、患者さんの気持ちを置き去りにして治療者が先に進み過ぎている時に起こります。例えば、薬を飲むことに両価的な気持ちが強いのに、飲むことが当然のことだと説得するようなことがあると不協和が発生するでしょう。
対応方法として代表的なのがこちら。
- 個人の選択とコントロールを強調する
「薬を飲み続けるかどうか、最終的にはあなたが決めることです」などと自律性を強調する発言をするということです。こういう発言は医療者として言いにくい、言ってはいけない発言のように感じるかもしれませんが、事実なので認めた方がよいし、無理に説得するより患者さんも中立的に検討できるようになります。言う練習はしたほうがいいと思いますが。
- 後退して患者さんに寄り添う
目標を割り引くということです。忘れずに薬を飲む方法について検討することが目標であったとしても、そもそも服薬に対する抵抗感があって、両価的だということが分かったとします。そのまま話を進めていくのではなく、まずはこの話し合いを続けさせてもらうことに目標を割り引いて不協和を回避することができます。服薬の重要性が高まるようにアプローチすることもできるでしょう。
- 患者さんにとって服薬がどれだけ重要か、どれだけ自信があるかを再確認する
こちらは不協和への対応というよりは、普通の動機づけ面接になるかと思います。
不協和への応答は、上記以外にも「謝る」「感情に聞き返す」ということが有効です。過去記事に紹介しています。
アルコール使用障害の人が「飲んでません」と言った時にどう対応するか
アルコール使用障害の患者さんが「酒飲んでません」と言ったら、返す言葉は「辛くないですか?」です。これ、河本泰信先生が紹介している方法で、私はいつも意識して使っています。
アルコール使用障害、中でもDSM-Ⅳまでの診断では依存症とされるような比較的重度の患者さんの転帰は「安定断酒」「コントロールされた飲み方への回帰」「早死」の3つです。
患者さんは人生の中で何度か節酒や断酒を試みることがありますが、アルコールリハビリテーションプログラムを受けて退院した後、1年間の断酒率は3割程度というデータもあり、時間の経過とともにさらに低下するわけです。
まず、生涯にわたって断酒を達成できる患者さんの方が珍しいわけで、そのような意味でも断酒の達成を治療の目標として設定することのなんというかハードルの高さというものがわかります。
患者さんは断酒に挑戦しますが、失敗するほうが普通なわけです。だから、酒をやめている、やっぱり飲んじゃった、という短期的なことで一喜一憂しても仕方ない。かといって断酒に挑戦した患者さんに対して「きっと失敗しますよ」なんて勇気をくじいてもしょうがない。
そういえば以前も似たテーマで記事を書いていました。
ioriiba.hatenablog.com
ということで、アルコール使用障害の患者さんが「飲んでません」と言ったら「頑張ってますね」とか「この調子ですね」などと安易に励ましてはいけません。患者さんは「やめたい気持ち」と「飲みたい気持ち」が同居しているわけですから。
それで、冒頭でも紹介した「辛くないですか?」がかなり使える対応方法となります。
で、患者さんが「辛くない」と言ったら少し喜んであげてもいいかもしれませんが、まだ慎重になったほうがいいでしょう。辛さがなく酒をやめられているのはどうしてなのか、何が上手くいっているのか丁寧に聞くといいのではないでしょうか。
で、患者さんが「辛い」と言った時はかなり心配してあげたほうがいいです。その辛さを緩和する対処方法はとれているのかなど、丁寧に聞くといいのではないでしょうか。いずれにしても酒をやめる方向への励ましや説得は禁忌となります。
私も当初は「酒やめてる」っていう患者さんに「すごい、がんばってる」などという声かけをしていました。多くの患者さんは再飲酒するので、「ああ、あの時ちゃんと辛くないか聞いてあげればよかったな」と後悔しました。
今回は「飲んでません」と言う患者さんへの対応ですが、「飲んじゃいました」と言われたときの対応も河本先生が紹介する方法がめっちゃ使えるので今後シェアします。
リファレンスが見当たらないので、リライトした時に載せます。
病識を持たせる方法はあるのか
そもそも病識の有無を患者さんの発言から単純に「ある」「なし」のように判定するものでもないです。
そして、患者さんに病識を持ってもらうということが、本当に必要なことなのか、病識を押し付けることへの疑問も持ったほうがいいと思います。
その上で、精神疾患における病識を患者さんに持たせる方法はあるのでしょうか。
結論から言えば、有効と言える方法は無い、ということも理解しておくのが大事なのではないかと思います。
ある程度病歴のある患者さんでは、急性期の薬物療法が奏功すると精神症状が改善し、それに伴って病識が改善することがあります。ただ、薬物療法が直接的に病識を改善するわけではありません。
いわゆる心理教育というアプローチも基本的には病識や服薬アドヒアランスを改善するという証拠はありません。
ioriiba.hatenablog.com
他に、心理的なアプローチとして、動機づけ面接の要素を含んだ個人精神療法がやや有望視はされていますが、一貫して効果的と言えるほどの支持はなく、アウトカムとして病識というよりは服薬アドヒアランスを評価している研究が見られます。
また、ACTのような生活支援を含んだ濃厚なサポートも服薬アドヒアランスの改善には有効性があるとされていますが、病識の改善という視点での報告はみられません。
Lysakerなど病識の研究者は、患者さん自身が自分の精神症状に意味づけをしていく過程で病識が形成されるのではないか、という意見を持っています。
個人的な経験で言えば、病気への捉え方はどうあれ、まずは精神科のサービスを使うというところがスタートになるという印象があります。生きづらさを抱えながらもご自身なりの挑戦をしたり、落としどころを見つけたりする中で、時間をかけて病気について言及できるようになっていくような気がします。その過程は自然経過とも言えます。
支援者が病識を持たせようと積極的にアプローチすることは患者さんの反発を招き、自然経過を邪魔する可能性があります。病気を自覚させようとする試みは患者さんのためを思って行われることですが、患者さんにとっては自分の価値を傷つけられる体験になっている可能性も考慮すべきです。
だから何もしないほうがいいとは言いません。押しつけがましくない介入が患者さんと上手く相互作用できた時に病識の改善が進む可能性はあります。教え込みよりも、安心できる雰囲気の中で患者さんの病気に対する考えを引き出すようなアプローチのほうが有効と思われます。
病識はある方が良いのか
精神科医療では患者さんに病識を求めがちです。
患者さんにご自身の病気について正しく理解してもらい、マネジメントに努めてほしいと願うのは当然のことです。しかし、患者さんが病識を持たないことにも意味があるのかもしれません。
Lysaker(2018)は統合失調症の病識に関するレビューの中で、病識は抗精神病薬の受け入れや治療同盟に関連しており、病識が低いことは症状が悪化しやすいこと、社会的機能を低下させるとしています。
一方で、優れた病識は患者さんに苦痛をもたらし、幸福感を損ない、抑うつ状態をもたらす可能性があるという、いわゆる”Insight Paradox”が以前から指摘されており、多くの研究でも同様の知見が得られているとしています。セルフスティグマや将来を悲観する傾向によって強まることを指摘している研究もあります。
それだけでなく、優れた病識は自殺の危険因子にもなることが指摘されています。
初回エピソードにおける病識は自殺のリスクを増加させ、1年後のフォローアップでの病識は自殺のリスクを減少させるとしている研究もあるようです。
いずれにしても、病識と自殺リスクの関係は抑うつ状態が媒介していることが指摘されています。
古茶大樹先生(2015)は認知症の病識を例にとり、病識が無いことがプラスにはたらく面もあることを指摘しています。つまり、自分が少しずつ生活機能を失い、周囲に迷惑をかけることを自覚したなら、生きていくことに絶望するのではないか。病識を失うことは認知症を抱えながら生きていくために必要なことともいえるのではないか、と述べています。
また、精神障害の場合、その病識の獲得は社会内における自己価値の傷つきに結びつきやすいことを指摘し、病識を持つことを促すメッセージを受け取る患者さんの気持ちにも配慮していくべきと述べています。
日頃から、あの患者さんは病識が無い、というような表現をよくするわけですが、病識といってもどの側面の病識が無いと言っているのかはっきりさせる必要があります。自分は病気じゃないと主張していても、精神科のサービスは利用してくれている場合があります。そういう方は病識が無いと言えるでしょうか?
そして、病識が無いと言った時に、その患者さんはなぜ病識が持たないのか、その事情を想像してみるのもよいかもしれません。
lysaker(2018). Insight in schizophrenia spectrum disorders.world psychiatry.
古茶大樹(2015).病識をめぐって. 精神科治療学
病識に影響する要素とは
過去記事にて、精神疾患、特に統合失調症における病識とは何かについて確認しました。
- 自身の何らかの変化が精神疾患に基づくと考える
- 精神科の治療を受け入れる
- 精神症状を認識できる
我々が一般的に病識と言っているものは、これら3つの独立した要素に分解され、Clinical Insightとも呼ばれています。
この病識は流動的で、時と場合によって変化することもよくあるのではないでしょうか
池淵先生のレビュー~池淵恵美(2021)「統合失調症の『病識』を再考する」精神医学(63)3 p395~414~を参考にしつつ、私見もかなり混ぜながらまとめます。
前頭葉機能
脳の器質疾患では、しばしば病識欠如が起きることが知られています。統合失調症も神経認知機能の低下が想定されており、とりわけ前頭葉機能と病識の関連が研究によって支持されています。簡単に言えば、病識の無い患者さんはウィスコンシンカードソーティングテストのような検査の成績も悪いということです。ただ、当然ですが病識の一側面を説明するに過ぎないということも指摘されています。
病識が無いことを神経認知機能の低下に帰結することは、病識研究で有名なAmadorも推奨しています。病識が無い患者さんに対して、家族や支援者はイライラしがちなので、病識が無いのはそもそも病気の症状なんだ、と理解する方が気持ちがラクになる、という考え方です。Amador自身が統合失調症の兄を持つ当事者家族なんですよね。
一方で、Amadorは病識の無い患者さんに治療を受け入れてもらうためのコミュニケーション方法をまとめたLEAPを開発、紹介しています。LEAP自体はまた別の記事でも紹介したいですが、あまり普及啓発されていない印象です。周りの人もあまり知らないんですよね。精神科のど真ん中みたいなコミュニケーション技術だと個人的には思うのですが。
家族や社会のスティグマ
そもそもスティグマって何だろう、ということは置いておきますが。家族が精神疾患の発症を周囲に対して隠そうとするような場合は、患者さん自身も自分の病気を受け入れるどころではなくなります。こういった場合、家族の対応が悪いと責めても意味が無いわけで、場合によっては家族が支援の対象になります。
ネガティブな治療体験
強制入院、閉鎖病棟、行動制限、飲み心地の悪い抗精神病薬などなど。精神科の治療はネガティブな内容が多く、時にトラウマを残すくらいつらい体験になる場合があります。少なくともこのような体験のさなかでは、病気と向き合うどころではないです。
精神症状
これはまずまず大きなファクターという気がします。急性期症状が消退するとClinical Insightが改善してくることは多くの人が感じるのではないでしょうか。そもそも、病状の評価にあたって「入院時の振り返りができている」みたいなことを指標にすることもあります。ただ、すべての患者さんに共通するわけではなく、精神症状の改善に伴う病識の改善の程度はさまざまです。
次回の記事ではそもそも病識はあったほうがいいのか、ということについて考えたいと思っているのですが、それと関連するのがInsight Paradoxです。これは、病識をはっきりと持っているほど抑うつ症状の程度が重くなるという説のことで、研究によっても支持されています。幻覚妄想状態などが改善してくるにつれて病識も改善するけども、抑うつ症状に関しては逆に重くなる可能性があるということです。
それから、精神病症状や躁状態については患者さんに病識が無いことで問題になりますが、抑うつ症状については病識が無くて困る、という話は聞いたことがありません。むしろ抑うつを訴えながらも趣味活動などを行える患者さんを「あの患者さんはなんちゃってうつだ」のように揶揄することもありますから、むしろ過剰な病識を問題視するようなところがあると言えます。
心理教育のコツ~情報を交換する~
Adherence Therapyのマニュアルを少しずつ読んでいます。
Cornerstones of the adherence approach
- Exchanging information
- Dealing with resistance
今日はExchanging informationを見てみます。
まずは直訳。
「セッション中ことあるごとに患者の理解を確認するべきです。 病気や治療法を知り、情報交換するプロセスにするべきです。患者さんに知っていることを聞くことで、情報を得ることができます。私たちは患者さんにもっと情報が欲しいかどうかを尋ねる必要があります。提供される情報は事実に基づいたものでなければなりません」
心理教育って情報提供することだと思われていることが多いと思います。しかし、情報提供は患者さんの知識を向上する効果はあっても、服薬アドヒアランスを改善する効果は無いのです。
薬を飲むのは患者さんの方なので、こちらが一方的にしゃべりまくっても意味がない。当時者たる患者さんに多くを語らせ、自分で考え、行動してもらう必要があります。
情報提供は不要なのではなく、やり方を変えればたちまち協働的なものになります。これをAdherence Therapyでは情報提供ではなく「情報交換」と表現しています。
動機づけ面接の言葉で言えばE-P-Eに基づく情報提供ということになります。
情報提供をしたいタイミングが来た時、①まずは患者さんに知っていることをたずね、②次に許可を得た上で情報提供を行い、③それを聞いてどう思うかたずねる、という手順です。
すでに知っていることを言われるのって「知っとるわ!」って頭にきますよね。だから先に患者さんに聞きます。患者さんは意外と正しいことを知っていますから、知っていたら「よくご存じですね!」と是認する機会にもなります。
また、情報提供は余計なお世話になる場合も多いものです。聞いてもいないのにアドバイスされると頭にきますよね。だから言ってもいいか許可を得ます。
情報を聞いて、患者さんが正しく理解しているかわからないし、理解したとしても、その情報に基づいて行動するかどうかは患者さんしだいです。だから、情報提供した後に、どう思うかたずねます。
もう一度確認すると、
Elicit(引き出す)・・・患者さんに知っていることをたずね
Provide(提供する)・・許可を得た上で情報提供を行い
Elicit(引き出す)・・・それを聞いてどう思うかたずねる
例えば、
Th<抗精神病薬を飲み続けるのは何のためかご存じですか?(Elicit)>
Pt「なんででしょう?、完全に治すためですか?」
Th<一般的に知られていることをお話しても良いですか?(許可を得る)。症状を抑えるという目的の他に、症状が出てこないように予防するために飲み続ける必要があるんです、高血圧や糖尿病の薬に似ていますね(Provide)。そう聞いてどう思いますか?(Elicit)>
Pt「あ~、でも飲み続けるのは嫌だな~」
過去記事にも情報提供のコツを紹介していました。
精神疾患の”病識”とは
あの患者さんは「病識がある」、とか「病識が無い」とかよく言われます。
「病識まではいかないけど、病感くらいはありそう」などと言うこともあります。
統合失調症が代表する内因性精神病のコントロールには治療アドヒアランスが重要な要素ですが、ここに病識というものは関係がありそうです。
しかし、「俺は病気じゃない」と言いながら長年通院して服薬はしている患者さんもいるし、「薬の大切さがよくわかりました」と言いながら巧妙に飲んだふりをして薬を捨てる患者さんもいます。
病識があるから治療をちゃんと受けるのでしょうか?、治療を受けてもらうには病識を持ってもらうことが必要でしょうか?、そもそも病識って何なんだ?、ということで病識について池淵恵美先生の論文を参照しながら、私見も入れてまとめます。事例は架空の患者さんです。
近年、病識はあるかないかという単純な話ではないということが知られてきています。患者さんの個人内に想定される認知的側面だけでなく、治療者の関り方や社会の価値観といった外部要因との関連性も論じられています、・・・というかそっちのほうが大事なのかなって私は思ってます。また、病識は変化するものという認識も重要だと思います。とにかく、病識についてはわかっていないことが多いので今は多面的な理解が必要です。
病識と呼ばれているものは現在2つの概念があるようです。
clinical insightとcognitive insightです。
clinical insight
病識の評価尺度であるSAI-Eを開発したDavidらが病識を構成している要素を3つに分解しており、これらは主に専門家の側から評価されるもので、clinical insightと呼ばれています。
①何らかの変化を精神疾患に基づくと考える
これには自分の診断名を知っていて、その発症したタイミングや自分の中での変化を自覚していることが必要になるでしょう。
長期に経過している患者さんですが、思いついたように「もう症状が無いから薬は飲まなくてもいいよね」と言う方がいました。以前はどんな症状があって、どういう診断を受けたのかたずねると、「・・・うーん頭がモヤモヤしたりとか、統合失調症かな、だったと思うんだけど、もう治った」とのこと。
言葉をそのまま受け取ると、はっきりしないけど、頭がモヤモヤするという変化はあって、それがどうやら統合失調症という精神疾患に基づいていた、という認識はしているようです。具体的な症状についてはよくわからないし、治療もしたくないと考えているということになります。
②治療に従う
治療を受けることでの何らかのメリットが存在する必要がありそうです。服薬は精神症状を改善するためのものだと我々は考えますが、患者さんにとっての服薬するメリットは別なところにあるかもしれません。とりあえず治療に従っておけば、家族がとやかく言わなかったり、入院させられなくて済む場合もあります。
長期入院の経験がある患者さんで通院も服薬も続けていますが、「何十年もロシアに電波で攻撃されている、自分は病気じゃないけどもロシアの陰謀によって入院させられたんだ」と言う患者さんがいました。言葉をそのまま受け取れば、抗精神病薬は飲んでいるけども、精神症状は自覚していなくて、もちろん自分が精神疾患を持っているとも思っていないということになります。いわゆる病識は欠如しているけど治療は受けている患者さんが存在するわけです。
③精神病症状を認識できる
精神病症状、特に幻覚や妄想について客観的に自覚するというのは、少し経験や知識が必要なのではないかと思います。 はじめは精神病症状に影響されて行動化する患者さんも、症状を自覚できるようになると何らかの対処行動をとれるようにもなります。また別記事で考えようと思いますが、症状の強さによっても自覚の程度は変わります。普段は幻聴に対して客観的に捉えられる患者さんも、幻聴が強まると影響を受けて行動化してしまう場合があります。
治療のアドヒアランスはかなり悪く、長期の経過の中で解体している患者さんですが、「子供の頃に変な薬を飲まされたせいで幻聴が聞こえるようになった」と言っていました。言葉をそのまま受け取れば、幻聴が聞こえるという自分の中での変化を自覚していて普通じゃないと思っているけども、それが精神疾患に基づくとは考えていないということになります。病気じゃないし、薬も飲まないけども、幻聴という症状があることは認めているという状態です。
・人生のどっかの時点で精神疾患に基づいた変化があったことはわかる
・病気じゃない、症状もない、でも精神科のサービスは受ける
・原因はわからないし治療も望まないけど、幻覚があることは認める
一口に病識と言っても、いろんなタイプの患者さんがいます。このように病識と言ってもいろんな切り口があることがわかります。
cognitive insight
こちらはBeckが提唱したもので、要するに病識に関するメタ認知のことです。メタ認知とは、認知の認知、自分の考えに対する自覚です。これはclinical insightの中の精神症状の認識という部分に関わっているのだと思います。加えて、自分の認知が本当に正しいか疑ったり、誤っているとしたら認識を修正する能力、あるいは柔軟性が含まれていることが強調されています。lisakerはcognitive insightを「自己を内省する能力と過剰な確信の抑制能力」と定義しています。
たまに「今聞こえた?」って確認する患者さんがいますが、聞こえないよって答えると「じゃあ幻聴か」って納得する患者さん、あるいは、「隣の人が嫌がらせしてきてるような、でも考えすぎかもしれない」という確信度が低い妄想を持つ患者さんなどがいます。
cognitive insightという概念がどのくらい役に立つものなのか、私にははっきりわかりません。ただ、メタ認知の機能がclinical insightの形成に一部影響しているだろうということは一定の理解ができます。
文献:池淵恵美(2021)「統合失調症の『病識』を再考する」精神医学(63)3 p395~414
病識の変化に影響を与える因子や病識を改善するためのアプローチについても今後まとめていきたいと思います。