精神科OTのブログ(仮)

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精神科の作業療法士が知見や考えをシェアしています。

精神疾患は病気か

精神医学は病気をでっちあげていて、本来は病気じゃない人を薬漬けにしている、人権侵害をしている、みたいな批判をする反精神医学の運動があります。はてなブログでも運動をしている人たちがいます。

 

私はけっこうそういうのを見聞きするのが好きです。

日本で反精神医学と言えばこの方です。米田倫康さんの著書が出た時は真っ先に買いました。米田さんのブログのファンだったのですが、今は終了しているようです。

発達障害バブルの真相: 救済か?魔女狩りか?暴走する発達障害者支援

発達障害バブルの真相: 救済か?魔女狩りか?暴走する発達障害者支援

  • 作者:米田 倫康
  • 発売日: 2018/12/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

こちらは製薬会社による販路拡大戦略や精神医学の専門家による善意の暴走が世界の国々に及ぼすインパクトについて書かれています。

ジャーナリストによるもので、読みやすい、面白い、一気に読みました。

 

 

そして、DSM4の編集委員長が「DSM5はまじでヤバいから!」と警告しているのがこちら。やはり製薬会社が世界の精神医学のスタンダードに影響している状況、人間として正常な苦悩が治療対象とされることの危険性について書かれています。

上記のクレイジー・ライク・アメリカで日本のうつ病バブルの立役者として紹介されている大野裕先生が訳者、っていうところがまた面白いです。

 

 

精神医学が炎上するのは、精神疾患が生物学的な側面だけで捉えることができないからです。できない部分を「こころ」って言うわけですが、その評価における信頼性、妥当性はかなり低いわけです。少なくとも血液データやMRIよりは絶対に低い。低いことが悪いわけじゃなく、低いことを認めたがらないことが悪いと私は思います。

 

だから医者が変われば診断も変わったり、治療方針も全く違ったりしてしまいます。患者さんが医者を選べれば良いですが、救急で入院すると選べないし、本当に当たった医者の違いで患者さんのその後の人生って変わるよな、と思います。

 

この精神医学の曖昧な部分についてどう理解すればいいのか、比較的わかりやすく解説してくれるのが、聖マリアンナ医科大学の古茶大樹先生です。

 

以下、古茶先生の解説と私なりの理解です。

 

まず、精神疾患には疾患的なものとそうでないものがある、そういう前提だとしています。例えば、画像で脳委縮が認められる認知症、内分泌疾患や膠原病を背景とした症状精神病などは明らかに疾患と言えますが、適応障害やパーソナリティ障害、社交不安障害は疾患か、と問われればその証拠は示せません。少なくとも、身体疾患と同じ生物学的な水準では示せないことは明らかです。

 

しかし、疾患と言い切れないものだとしても、そこに当事者の苦しみなり、困っていることがある。その苦しみに対して何らかの支援はした方がいいわけで(それを医療と呼ぶかどうかは別として)、現状ではそれを保険診療でもやっていいと認められています。

 

では、統合失調症はどうでしょう。統合失調症は疾患か、と問われれば、精神科に携わる人のほとんどが、間違いなく疾患だと言うはずです。

 

しかし、統合失調症も身体疾患と同じレベルで、確かに疾患だと言い切れる証拠があるかと言えば、はっきりとは示せないのが現状です。画像に写るわけでも、バイオマーカーが特性されているわけでもありません。薬物療法の効果があるので、何らかの生物学的な基盤があることは想定できるけども、それはあくまで想定の話です。精神科における代表的な疾患と思われる統合失調症も、身体疾患と同じレベルの証拠をもって疾患だと言えるわけではありません。

 

でも、明らかに統合失調症は疾患だと直感的に思えるのはなぜでしょう。

 

それは、幻覚や妄想の訴え、さらにそれに影響された行動それ自体が健常者では観察されない異常を含んでいるからです。健常者が思い浮かべて、追体験することができないという了解不能性が統合失調症が疾患である根拠とされています。

 

精神医学における疾患は、一部は身体疾患と同じ水準の証拠に基づくけども、それに当てはまらない場合は精神医学に固有の判断基準である了解不能性に基づいています。

 

でも了解不能性が疾患の根拠というのはやっぱりとても弱いし、患者さんからしても納得できないでしょうね。

 

ここは危険な部分なので古茶先生が特に強調していることがあります。

 

シュナイダーはこの了解不能性について別な切り口の表現として「生活発展の意味連続性の切断」と言っているそうです。精神病によってその人らしさの連続性が失われるということです。その人らしさとはどのようなものだったか詳細に聞かないと判断できないということですよね。

 

また、患者さんの訴えを了解可能かどうか判断できるまで聴くことは簡単ではないということです。「あなたの立場だったら確かにそう考えるでしょうね」という風になるまで話を聴いて共感できるまでには技術が必要です。

 

そして、その過程、患者さんの話をよく聞いて、共感する(正確に理解する)過程が副次的に患者さんを癒すことになるんだ、そう仰っています。

 

長くなったのでもう一度まとめると。

精神疾患には疾患的なものとそうでないものがある

統合失調症でさえ、身体疾患と同じ生物学的な水準で確かに疾患と言える根拠はない

・精神医学固有の疾患の判断基準として「了解不能性」「生活発展の意味連続性の切断」がある

・「了解不能性」を判断するのは簡単なことではなく、患者さんの話を聴く技術が必要だが、共感(正確な理解)は患者さんに癒しをもたらす

 

文献:古茶大樹(2021)「標準的精神科医がしっておくべき精神病理学」精神科治療学36(2);p145-150.